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vol.03 皆さんとの出会いと今日まで [2004.07.01] 四難聴ニュースから 議員という立場をいただき早4期、13年をまるで脱兎の如く走り抜けたというのが実感です。看護婦として9年間勤め、その後桑名高校で看護科教師を12年勤めやっと看護教育の使命と責任を人生最後の仕事として果たす喜びを実感していた時でした。 突然の「市議会議員へ」というお話に、家族も私も戸惑い悩みました。まるで今まで縁がなかった(実際には政治ほど私たちの日々の暮らしに密接に関わるものはありません。)政治の世界の仕事が見えない不安と、教育現場での仕事への未練とが葛藤しました。 しかし、結果平成3年4月立候補することとなったのです。当事末っ子次男は小学生入学年でした。今彼は大学3年生。市民相談に毎日駆け巡り、議会の勉強に追われる私はまさに「母親失格!」その穴埋めは全て私の母が役目を引き受けてくれ今日までこれました。その彼は福祉学部に学んでいます。「母さんの影響だよ!」と単純な私を喜ばせています。 さて、私と難聴者の皆さんとの出会いは7年から8年前、当事三重県中途失聴者・難聴者協会(以後、三重難とする)の会長だった川合久美さんからの長いお手紙が始まりでした。 内容は「四日市市の難聴者対策に力を貸してほしい」という切実な訴えでした。早速、事務局長だった田代さん、藤田先生にお会いして実情をお伺いし、対策の充実を議会で取上げ、こうして四日市市の中途失聴者・難聴者(以後、難聴者とする)対策の施策の取組みが始まったわけです。 2回目の議会質問のとき、赤外線補助システムを議場に設置し、皆さんに傍聴していただくことを試みました。これは、なかなか理解されにくい「難聴」という障害を市の部長や議員に啓発するのにとっても効果があったようです。こうして市の障害者基本計画の中に「難聴」という障害を位置付けをし、「耳マークの普及」や「災害時の対応」、「市立病院での対応」など次々と進めていくなかで、皆さんとの出会いがあったのです。 今までなかなかデーブルに乗らなかった難聴問題を、公的な場できちんと取り上げるため、行政への要望会として年1回開いています。これもすでに、5年から6年が経過しています。こうした交渉の必要性がなくなる日まで続けていきたいと思っています。私のなかで難聴への取組みは、私自身の喜びとなりました。これからも宜しく。 |
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